いつなんどきも希望であろう*

33歳・東京在住・共働き * 生活のこと / 旅の記録 / 思ったこと・感じたこと / ある30代女子の日々の記録 

私の原動力

生きていくなかで、もしくは仕事をしていく中で、何を成し遂げたい?と聞かれたら正直よくわからなくていつも困ってしまう。

 

でも、どういう存在でありたいか、どんな人でありたいか、と聞かれたら、答えはある。

 

いつなんどきも希望であろう

 

これが私のありたい姿。

 

ブログのタイトルも、いつも忘れないようにこれにした。

 

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これを掲げたのは10年前に遡る。新卒1年目、フランクリン・コビーの「7つの習慣」の研修を受けた時に、「ミッションステートメントを決めましょう」というのがあった。自分は何故何のために生きるのか。

 

その時にふっと心に湧いてきたのが、「いつなんどきも希望であろう」という言葉。

 

元を辿れば、当時付き合っていた人の影響だった。ひとまわり以上年上だったその人は、自分にも他人にも厳しい人だったけれど、ある時「困ってる人がいた時に、何もできない自分ではいたくない。それが知識でも経験でも人脈でも、もしかしたらお金でもいい、何でもいいけど、相談された時に何にも差し出せるものがない自分は嫌だ。だから成長したいし、いろんな経験を積みたいし、お金もゆとりを持ってたい」と言っていたのがすごく印象的だった。

 

その話を聞いたのは私が大学生の頃。そして大いに感化された私は、私もそういう人になりたいと思って、就活をし、そういう人になれそう、と思って今の会社に入り、先述の1年目の研修で具体的な言葉として掲げ、もうすぐ10年が経つ。

 

困った時、迷った時、相談したい時、naoに聞いたらどうにかなるかも、とか

解決策まで出なくても、とりあえず話せばすっきりできるかも、とか

いるだけで安心できる、とか

なんでもいい。

でも、だれかにとって、その人が前に進める、もしくは踏みとどまれる、希望でありたい。

 

 

迷った時、疲れた時、へこんだ時、嬉しかった時。1年の始まり。いろんなタイミングでこの言葉に立ち戻る。

 

私は今、誰かの希望になれているだろうか、と。

 

そして、もっとより多くの場面で、より多くの人に、希望たりえるためにはどうしたらいいか、と。

 

それが私を前に進ませる原動力。

 

だから明日も誰かの希望になれるように、一歩一歩前へ。